長かった1年

久しぶりの更新。
2017年もグループが存続でき、自分も存続することができそうです。
ほんと、ありがたいかぎりです。
運と周りの人たちのおかげで、分不相応ながらここまで来ることもできた。
10年前、5年前、3年前、そして1年前でさえ想像できなかったところまで来ることができました。感謝でしかありません。

 

しかしながら同時に、自分の器の足りなさによって大切な人たちを傷つけたり苦しめたりしてしまいました。自分のふがいなさに悔しい気持ちでいっぱいです。本当に申し訳ありません。大切な人を傷つけてしまうことで、自分自身が傷つく。そんな思いしたくない。今後もしてしまうだろうし、一生修行中の身でいるんだろうな。

 

「ありがとう」と「ごめんなさい」。
究極的には、この2つの言葉に集約されるのでしょう。
私たちゼンシングループは、ありがとうを増やすことが使命です。
安心の創造を通じてありがとうを増やすこと。
これが使命であり、その先に私たち自身の幸せがあります。

 

もっとでかい男になりたい。
もっとカッコいい男になりたい。
もっといい男になりたい。
仕事を通じてもっといい作品を作りたい。
個人的な思いです。

 

そして、もっと幸せになりたい。
十分に幸せだけど、もっと幸せになりたい。
幸せかどうかは、自分で決めるしかない。
だから人を幸せにすることはできない。
幸せかどうかを決めるのは、その人それぞれだから。

 

でも、人の不安をなくしていくことはできる。
不安は未来に対するもの。
どれだけ先の期間の不安をなくすことができるか。
その長さの分だけ、安心感は大きくなる。
それが私たちの価値。

 

どの時代でも、不安感が伴った。なぜならいつでも未来は不確定だから。
人間と不安は、切っても切れない。
だからこそ、安心の価値は不変である。

 

別に価値が高いことがしたいわけではない。
俺ってすげーだろってしたいわけじゃない。
だけど、いい作品は作りたい。究極的には自己満足の世界なんだろう。

 

とにかく2017年が終わるってこと。
長かった。ほんと長かった。
感謝。

感謝

「元気でやっています」!という近況報告のために、久しぶりにブログを書くことにした。
2016年も終わることだしね。

 

今年もおかげさまで、「行動第一」の1年にすることができた。
日本とカンボジアの毎月の往復を続けることもできたし、日本国内の行動の幅も広がった。
仲間たちとの時間が取りづらくなってしまったが、仲間たちへの思いは深くなった。

 

そして前提条件としての「健康」にとても気にするようになった。
今日が健康であるだけでなく、30年後も健康であること。
それが自分に課している前提条件。

 

そうなったのには大きく2つの理由がある。
1つは、人生の目標が決まったこと。
2つ目は、矢印を自分に向けれるようになったこと。

この1年、人生の目標を考え続けてきた。
そしてようやくその答えが出た。
そして、すべてがシンプルになった。

 

そして2つ目の「矢印を自分に向ける」とは、自分と向き合うということ。
今までの人生、良くも悪くも自分を後回しにしてきた。
だけど今は、自分をもっと大切にしようと思えるようになった。

 

この2つの感覚を、短い言葉で表現するのは難しい。
だけど自分の中で、答えが出たということ。

 

この答えにたどり着くことができた自分に感謝している。
そして、自分を育ててくれる人・支えてくれる人・共に歩んでくれる人に感謝しまくりです。

NO LIMIT

3月11日、あの日から5年。
福島県の久ノ浜を訪れ、祈りを捧げてきた。

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海はいつものように、ただそこにあった。
東日本大震災という呼び名も、 そして数十万人の方々が、
一瞬のうちに大切な人を失ったことも、 人間だけに関するもので意味があるもの。

 

5年前に津波で流された街に、また新たな街ができようとしていた。
あの日の波が来ても耐えうる、新たな防波堤と共に。

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いつまた大震災が起きるか、誰にもわからない。
それが明日なのかもしれない。

 

大震災だけじゃない。
乗っている飛行機が落ちるかもしれないし、自動車事故を起こすかもしれない。
そういった災害じゃなくて、自分の心臓が突然停止するかもしれない。
自分のことでさえ、自分にはわからない。
明日、俺の心臓は止まるかもしれない。

 

だからってビビって今日を生きるのではなく。
だからこそ、今を大切にちゃんと生きるんだ。

 

世間の目。
世間の常識。
周りがどう思うか。
周りにどう思われたいか。
周りがどうか。
そういったものに左右されるのではなく。

 

過去でもなく、未来でもなく。
今、俺ができること。
今、俺がやりたいこと。
今、俺たちができること。
今、俺たちがやりたいこと。
今にすべてを専念する。

 

最高の人たちと一緒に、最高の人生を送る。
仕事を愛し、人を愛す。
すべてやり尽くす。
そう、 NO LIMIT

 

こんな生き方しかできないから、多くの人も傷つけてきたし、
自分自身も傷ついてきた。ほんと、ごめんなさい。

 

これからも多くの人を傷つけることになるだろうから、
これからも自分自身も傷つくだろう。
それがわかっているけど、今を変えることはない。

 

なんだか、こうやって書いていると
「どんだけ自分勝手な奴なんだ」って笑ってしまう。
まあいいや。
以上、終わり。

 

戸川良太

より多くの最高の笑顔を見ること

カンボジアのアパートより。

 

「残念ながら人生は短い」ってことを実感するようになった。
なぜかというと、生まれて36年間経過したという変えられない事実があるから。
今までの人生の倍を生きたら72歳。おじいちゃんだよね。
そして、もっと残酷なことに72歳まで生きられる保証は一つもないんだよね。
そのことに、ちゃんと深く向き合わないといけないんだよね。
自分の人生が終わり、すべてが無くなるという日が来るということに。

 

だけどこれまた難しいんだけど、「全てが無くなる」の意味がわからない。
それは自分だけじゃなく、誰にもわからない。
だって、誰もこの世にいる人は「全てが無くなる」をやったことがないから。
だから少ない頭を絞ってイメージするしかない。
だけどイメージと実際は、全く違うということを自分は知っている。
自分でやったこと以外は、全く分からないということを知っている。
それでもイメージしないよりはまだベターだろうし、準備が9割だしね。

 
唐突だけど、死体を見て思うことがある。
なんか死体って文字を見るだけで、拒否感・抵抗感が生まれるのは、
それこそ死と向き合っていないからなのだろう。
世間からは(世間ってなんだよ)、何をシリアスなことを書いているんだって思われるのかも。
でもそういったことは気にしないんだよね。
どうせ死ぬんだから、世間とかよりも自分の生をどうするかが大事だから。

 

こうやって自分の頭の中を文字に起こすと、自分がいかに自分勝手なのかがわかってしまう。
ここでも肯定しちゃうんだけど、周りはどうだか知らないけど自分は自分でしかないからね。
だってさ、どうせ死ぬんだもん。
どっちかしかない。生なのか死なのか。
その生の側(それを人生と呼ぶ)にいるんだけど、いつひっくり返るのかわからないんだもん。

 

いつひっくり返るのかわからないからこそ、怖れても挑戦ができる。
いつひっくり返るのかわからないからこそ、自分に正直に、そしてやりたいようにやる。
やりたいようにやれるために努力する。

 

 

今のところ、自分のやりたいことはずっと変わっていなくて、より多くの最高の笑顔を見ること。
そのために日々の努力を継続するんだ。
努力や困難の数々は、やりたいことをやるという明確な目的があるからちゃんと向き合える。
まあこんなこと言っているけど、その瞬間はめっちゃ凹むし自己嫌悪に陥ったりもする。
しょうがいないよね、所詮ただの人間なんだもん。機械じゃないし。

「NO!」と言うことで負う心の傷

約2ヶ月ぶりに、この投稿用のページを開いた。
ここ最近、人の心を傷つけてしまうことや、不快な思いをさせてしまうことがが多い。
なぜかと言うと、拒絶をすることが増えてきたから。

 

今までは拒絶をする側ではなく、どちらかと言えば拒絶をされる側だったと思う。
「NO!」と言われることも心が傷つくが、「NO!」と言う側の方が、心に深い傷がつく場合がある。それは、「NO!」と言う相手次第だが。

 

自分の大切な人に、「NO!」と言うのはきつい。
これは公私共にそう。
だけど特にプライベートの場合がきつい。

 

なぜなら、ビジネスの場合はそこに合理性や自分だけの判断じゃない部分があったりするけど、プライベートの場合はそうもいかない。
だから、プライベートで相手を傷つけることや深いにさせることがわかっていながら、その判断をすることが本当につらい。

 

だけど、何だか歳を重ねるごとに「NO!」と言わなきゃいけない機会が増えてきている。
ビジネス、プライベート共に。
だからどうとかじゃないが、備忘録として残しておこうと思う。

 

それにしてもつまらん文章だ(笑)

 

戸川良太

一歩ずつ前へ

楽しんでますか~???
なんてね。
自分に声掛けてみた(笑)

難しいと考えると、本当に難しくなってしまうもんだよね。

「リスク」と向き合うことが職業だからこそ、笑っていたい!

「綺麗事」では済まされない領域に身を置いているからこそ、自然体でいたい!

「本質」を見抜く目でいたいからこそ、深刻はノーサンキュー!

使命感も大事だけど、楽しくやりたい!

 

いやいや、今年も終わっちまうじゃないか!
去年の今頃なんか、大先輩方と一緒にビジネスやらせてもらうなんて思ってもなかったし。
カンボジアで緊急対応事業や間取り作成事業なんかするなんて思ってもなかったし。

去年の今には出会ってない人たちがメニ―メニ―で。
そんな人たちと今は普通な顔して共に進んでいて、なんじゃこりゃって感じだよね。
毎年がそんな感じの連続なんだろうな~

なんでこんなに広がり続けるのか、そして仲間が増え続けてくれるのだろう?
ビビりながらも、逃げずに一歩ずつ前に進んでいるからだろう。
あのときも、あのときも、あのときも、あのときも自分がビビって断念していたら、この仲間たちとも、そして仲間同士も出会ってなかった。そう思うと、ビビって逃げることが一番怖ろしい。

自らの意思で一歩前に進めば、出会えるべき仲間たちが待っている。
そして、仲間たち同士で切磋琢磨したり笑い合える姿を見ることができる。
だから、これまでも、これからも、一歩ずつ前へ。

 

ありがとう、そしてごめんなさい

期は熟した。
カンボジアを海外進出の第一歩と決めてから3年。
月の半分カンボジアにて身を置くようになってから2年。
カンボジアで初の事業(データ入力事業)を始めてからも2年。

 

自分の直感がざわつき始めた。
ようやくアクセルを踏むタイミングに来たようだ。

 

なんで直感が騒ぎ始めたんだろうって考えた。
結果は、「やっぱりそうか」ってことだった。
何かって言うと、量が質に転化する瞬間が来たってこと。
神が手を差し伸べたいと思うまでやれば、この瞬間がやってくる。

 

 

直観というのは感じるということ。
だから今回も感じるまでは、無我夢中に突っ込んでいっただけ。
もちろん何も考えないわけではないけど、とにかく何かをやってみる。

 

「とにかくやってみる」ということを継続する。

 

ゼロイチができるまでは、ずっと闇雲。
手応えの一つもない。
それなのに数多の選択肢と、数多の決断を迫られる。
どれか一つの選択肢を見出せなかったら。
どれか一つの決断を見誤ったら。
だから全エネルギーを注ぎ込む。
神経を研ぎ澄まし、自分を100%信じる。

 
自分を100%信じれるようにするため、何度も何度も「うまくいかない理由」を探す。
「うまくいかない理由」を探しては、どうすればうまくいくのか考える。
うまくいく考えが見つかったら、また「うまくいかない理由」を探す。
その繰り返し。

 

 

その繰り返しをしていると、いつか直感がざわつく。
「アクセルを踏め」と身体が高ぶる。
この時を待っていた。

 

自分にとってはゼロイチまでの過程は、本当にきつい。
それは自分が根本的に弱いからだと認識している。
本当は向いていないこともわかっている。
いつもビビっている。
何度も寿命が縮まる思いをしている。
率直に言えば、逃げたい。

 

だけど自分と約束した。
もう二度と逃げないと。
だから震える足をグッとこらえて、地に足を踏みつける。

 

 

そして前に足を進める。
なぜなら自分は知っているから。
その先には新しい仲間たちが待っていることを。
そして今いる仲間たちを信じているから。
自分が前に進んでも、そんな仲間たちが手を差し伸べてくれることを知っている。

 

 

 

だから怖いけど笑顔で前に進むことができる。
仲間たちと一緒なら、どんなこともネタになる。
人生、かくも面白き。

 

そして設定がゼロだから、感動が大きい。感謝が深い。
こうも人生というものが感動的なのか。
そして感謝の思いが深いものなのか。
この思い、どこまでいけるのか。
我が人生、天井知らず。

 

この年を迎えることができたこと、感謝の極みです。
そして、このような形で迎えることができたことも、感謝の極みです。
ありがとう。
そしてごめんなさい。

 

自分を知るということ

皆にも、自分と同じような人生のドラマがあるのだろうか?
この地球には70億を超える人がいる。
自分と同じような人生のドラマが70億あるということか。
過去、地球上に存在した人たちのドラマの数からしたら100億とかあるのかな。

 

100億って、すげーな。
どんなに時間あっても、100億のストーリーは例えハイライト版だとしても見ることはできない。
氷河時代の人たちは、その目で何を見て何を感じたのだろう?
戦艦大和に乗っていた人たちは、その目で何を見て何を感じたのだろう?

 

もちろん、そんなもんは見ることも感じることもできない。
参考になる書籍はいくらでもあるけど、実際の1%も感じることはできない。かといってゼロではない。だから読書は大事なんだ。ゼロではないことに意味がある。
じゃあ実際に100%感じることなんてできないけど、近づくことができる。
それはリアルに突っ込むこと。

 

自分は、自分の周りにいる多くの起業家の話を聞き、そしてもっと多くの起業家の本を読んで、起業を決意した。そして起業家をやってみた。
リアルにやってみて、ようやく感じることができた。
起業して3年以内にバンザイする確率が7割あるリアルを感じた。
1年以内のバンザイも4割あり、自分がそっち側にあと半歩で行きそうだったリアルも感じた。

 

出資を募ることも、どういうことなのかを感じることができた。
大切な人たちから託してもらったものの大きさと重さを、リアルで感じている。
同時に、託してもらえる喜びの大きさのリアルも感じている。

 

事業を承継される側のリアルを感じることができた。
バトンを渡されるということがどういうことなのか。
無から有ではなく、有からの有。

 

さらに事業を承継するということが、どういうことなのかも感じることができた。
承継する側のリアルを感じることができた。
バトンを渡すということがどういくことなのか。
どれだけ勇気がいることなのか。そして寂しいことなのか。

 

海外進出するということが、どういうことなのかも感じることができた。
国内起業とはまた違った闇雲さのリアルを知った。
異国でビジネスし生活するというリアル。
異国の人たちと一緒に働くリアル。
旅ではまったく知ることのできなかったリアル。

 

取引先やお客様が増えるということが、どういうことなのかも感じることができた。
繋がるということがどういうことなのか。
信頼とはどういうことなのか。

 

仲間がどんどん増えていくリアルも感じることができた。
仲間が増えれば増えるほど、増していく重圧がどういうことなのか。
そして、仲間が増えていくことが自分の一番の喜びであるというリアルを知ることができた。
仲間たちの成長を見ること。
仲間たちの笑顔を見ること。
仲間たちの人生が豊かになっていくのを見ること。
仲間たちの夢が実現するのを見ること。
そのために自分は存在しているんだと、そのリアルを知ることができた。

これからも、多くのリアルを知ることで自分を知ることになるのだろう。
リアルを知る、つまり挑戦するということ。ずっとチャレンジャー。

 

こんなもんって、どんなもん

人生は結果だけを楽しむものではない。
もちろんこれは、結果を大事にしているという前提でだけど。

 

結果を大事にするには、目標が不可欠。
目標は、自分への信頼の深さ次第で高くも低くもなる。

 

これは組織の目標も同じ。
仲間たちへの信頼の深さ次第で、高くも低くもなる。

 

「こんなもんだ」なんて、自分のことも仲間のことも思いたくない。
仲間たち自身にも、自分自身のことを「こんなもん」って思ってもらいたくない。
もちろん自分に対しても、「こんなもんだ」なんて思われたくない。

 

だから挑戦し続けることができる。
挑戦って、だいたい失敗する。
傷つくし落ち込むし悔しいし悲しいし、やってらんないよって思う。
そういった思いが、次に挑戦するときの不安や恐れとなり、自分自身にブレーキをかける。
そうなると、挑戦そのものが難しくなってしまう。
そんなとき、「こんなもんで終わらない」ってアクセルがかかるか。
その差なんだと思う。

 

挑戦して、敗れて倒れて、むくむくと立ち上がる瞬間に人は強くなる。
謙虚な姿勢で受け入れ、何かのせいにせず、失敗からの学びや経験を自分の資産にする。
だから100回くらい失敗すると、結構強くなる(笑)
失敗も継続だよね。

 

強くなれば、できることが増えてくる。
強くなれば、もっと大きな挑戦をすることができる。
それって人生の醍醐味だよね。

 

その醍醐味を味わうには、日々どれだけ逃げずに継続できているか次第ってことで。
カンボジアの緊急対応及び保険事業、オフィスを開設しました。

 

写真 (1)

 

 

そして今日はイオンにて、避難訓練・救命訓練・消防訓練を実施してきました。
「安心の創造」への一歩です。こちらも継続です。

写真 4

写真 3 (1)

写真 2 (2) 写真 1 (3)

 

 

戸川 良太

通過点に過ぎない

毎月、10日以上はカンボジアで暮らしている。(残りは日本の各地。)
このハーフ&ハーフ生活も、かれこれ3年になる。
カンボジアへは直行便が飛んでいない。
毎回、乗り継ぎはタイのバンコク。行きと帰りで月に2回。
乗継って面倒くさいんだけど、ここにいる時間は好きなんだよね。
(今もバンコクの空港で書いている)

 

バンコクにいるときの自分は、いい意味でどこにも所属していない。
なぜなら、バンコクという土地ではビジネスしていないから、無意識に気が抜ける。
もちろんメールしたり資料作ったりするときもあるんだけど。
なんていうか肩に力が入ってない。
電話が鳴ることもない。
誰かに話しかけられることもない。
相談されることもない。

そんなこと書いているうちに時間になったので、一旦パソコン閉じます。

今はカンボジアの自宅にいる。
40℃を超える日が続いているが、美容サロンのエアコンが効かなくなったとのこと。
データ入力は事業の転換期を迎えることになり、再構築していく。
保険・安心創造事業は、まさに事業を創造している最中。
とまあ色々なことが、ここカンボジアでも起きている。

自分がカンボジアに来ている間も、至極当然ながら日本のそれぞれの事業の動きがあって、その日本の動きも感じながらカンボジアを感じている。

 

バンコクにいたときの自分を懐かしく思いながら、こっちはこっちで悪くないとも思うわけで。目の前では、カンボジア人スタッフと日本人スタッフの激しいやり取りが展開されている。と思ったら、「戸川さんはどう思いますか?」と聞かれ巻き込まれる。これも日常。自ら望んで作った日常。

 

こんな自分が4年前まで大手に勤め、俗に言うサラリーマンをしていた。今とは全く違う世界。同じ東京にいながら、全く違う世界。何が違うのだろう?

社会や人との距離や手触り・・・

社会とダイレクトで接しているから、自分にもダイレクトに伝わることで感情にもダイレクトに来る感じ。自分の中にある琴線を、ガサガサとダイレクトに触られる感じ。

うまく表現できないや。

 

だからといって、サラリーマンだったころの自分を否定しているわけじゃない。あれがないと今がない。それだけは確かなこと。社会人としての基礎を教わることができた。大手たるゆえんを肌で感じることができた。まさに財産だね。とても感謝している。

 

実際、若い時は「金なんか二の次」だと思う。大学生が就職活動で、初任給を気にするほどバカげたことはない。初任給なんかスタートラインにすぎない。転職も就職も一緒。前の会社でいくらもらっていたとかは、新しい会社にとっては全く関係ない。会社が変わるとは、ルールが変わるってこと。その新たなルールに少しずつ慣れていき、成長して成果を上げていくかは自分次第でしかない。「日本では給与いくらでした」なんて、カンボジアでは一切通じない。

 

そう、大事なのはゴールなんだよね。何を目指して生きているのかってこと。ゴールを諦めることは、自分にとってはとても耐えがたい。ゴールを諦めた後の人生、考えただけで怖ろしい。

 

「自分はどこまでできるのか、どこまでいけるのか、どこまでやれるのか?」

すべては、そのための通過点でしかない。挫折も苦しみも葛藤も重圧も、通過点でしかない。

戸川良太