通過点に過ぎない

毎月、10日以上はカンボジアで暮らしている。(残りは日本の各地。)
このハーフ&ハーフ生活も、かれこれ3年になる。
カンボジアへは直行便が飛んでいない。
毎回、乗り継ぎはタイのバンコク。行きと帰りで月に2回。
乗継って面倒くさいんだけど、ここにいる時間は好きなんだよね。
(今もバンコクの空港で書いている)

 

バンコクにいるときの自分は、いい意味でどこにも所属していない。
なぜなら、バンコクという土地ではビジネスしていないから、無意識に気が抜ける。
もちろんメールしたり資料作ったりするときもあるんだけど。
なんていうか肩に力が入ってない。
電話が鳴ることもない。
誰かに話しかけられることもない。
相談されることもない。

そんなこと書いているうちに時間になったので、一旦パソコン閉じます。

今はカンボジアの自宅にいる。
40℃を超える日が続いているが、美容サロンのエアコンが効かなくなったとのこと。
データ入力は事業の転換期を迎えることになり、再構築していく。
保険・安心創造事業は、まさに事業を創造している最中。
とまあ色々なことが、ここカンボジアでも起きている。

自分がカンボジアに来ている間も、至極当然ながら日本のそれぞれの事業の動きがあって、その日本の動きも感じながらカンボジアを感じている。

 

バンコクにいたときの自分を懐かしく思いながら、こっちはこっちで悪くないとも思うわけで。目の前では、カンボジア人スタッフと日本人スタッフの激しいやり取りが展開されている。と思ったら、「戸川さんはどう思いますか?」と聞かれ巻き込まれる。これも日常。自ら望んで作った日常。

 

こんな自分が4年前まで大手に勤め、俗に言うサラリーマンをしていた。今とは全く違う世界。同じ東京にいながら、全く違う世界。何が違うのだろう?

社会や人との距離や手触り・・・

社会とダイレクトで接しているから、自分にもダイレクトに伝わることで感情にもダイレクトに来る感じ。自分の中にある琴線を、ガサガサとダイレクトに触られる感じ。

うまく表現できないや。

 

だからといって、サラリーマンだったころの自分を否定しているわけじゃない。あれがないと今がない。それだけは確かなこと。社会人としての基礎を教わることができた。大手たるゆえんを肌で感じることができた。まさに財産だね。とても感謝している。

 

実際、若い時は「金なんか二の次」だと思う。大学生が就職活動で、初任給を気にするほどバカげたことはない。初任給なんかスタートラインにすぎない。転職も就職も一緒。前の会社でいくらもらっていたとかは、新しい会社にとっては全く関係ない。会社が変わるとは、ルールが変わるってこと。その新たなルールに少しずつ慣れていき、成長して成果を上げていくかは自分次第でしかない。「日本では給与いくらでした」なんて、カンボジアでは一切通じない。

 

そう、大事なのはゴールなんだよね。何を目指して生きているのかってこと。ゴールを諦めることは、自分にとってはとても耐えがたい。ゴールを諦めた後の人生、考えただけで怖ろしい。

 

「自分はどこまでできるのか、どこまでいけるのか、どこまでやれるのか?」

すべては、そのための通過点でしかない。挫折も苦しみも葛藤も重圧も、通過点でしかない。

戸川良太

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です