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CV(バックオフィス)

澤田マリヒ、カンボジアへ行く!!の巻 後編


皆様こんにちは☆
 
春ですね~♪
例年よりだいぶ早く到来した春日和、桜は早くも散り始めていますね。。
弊社オフィスの近くにある新宿御苑は今日も賑わっていましたよ(゚∀゚)
花粉症の方はお辛い季節ですけど、「日本を感じる」ことのできるいい季節ですよね♪
 
さて、改めて「日本の良さを痛感」できたカンボジア出張、澤田マリヒ、カンボジアへ行く!!の巻 前編に続き、後編をお届けいたしますが、今回はあまり楽しいブログではございません。。
わたしが今まで「なんとなく」しか知り得なかったカンボジアの歴史のお話です。
 
2日目、フリースクールを後にした私たちが向かったのは、キリングフィールドという場所。
キリングフィールド、直訳すると「虐殺の原っぱ」です。
この聞くに恐ろしい場所はカンボジア全土に300箇所以上あり、私が訪れたのはプノンペンにあるそのひとつでした。
 
300万人。
今から約40年前にこの土地で虐殺された人々の数です。
確かな数はわかっていないそうですが、カンボジア全人口のおよそ3分の1と言われています。
 
その惨い事実があった場所の今はただただ美しい公園でした。
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その美しい公園を音声ガイドを聞きながら周るのですが、そのイヤホンから聞こえてくる歴史は、とてもとても悲しいものでした。
 
ポルポト政権がプノンペンを制圧し、「新しく住む場所に移動する」と騙された都市部の住民は、着の身着のままで農村部へ強制的に追い出されました。そして、反対勢力になりそうな知識人、例えば教師、医師、芸術家、警察官など、教育を受けた人はすべて敵とみなされ、残酷な拷問を受け、カンボジアのあちこちにあるこのキリングフィールドで処刑されました。
 
Photo_18-03-30-18-03-24.744
所々に開いている穴に放り込まれた人骨はすでに掘り起こされてはいるものの、いまだに雨の後などに洋服の切れ端や人骨が回収されるそうです。
 
ショッキングなエピソードの中でも最も心が痛くなった場所、それはキリングツリーでした。
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この木に赤ちゃんや幼い子供が頭を打ち付けられ殺されたそうです。。。
「雑草を取り除くなら根こそぎ」というポルポトの言葉があるように、反逆者の家族からの報復を避けるために子孫を根絶やしに・・・という訳です。。
人の命を雑草に例えるなんて・・・考えられません。
 
今自分がいるこの場所で、こんなにも残虐なことが起こった事実を受け止めるには今の生活が恵まれすぎていて、同じ人間が何故こんなにも残虐なことができるのか。心や感情はどこにいってしまったんだろうか。。
実際に家族を目の前で失った被害者家族から語られる証言を聞きながら、想像すればするほど辛くなりました。
 
 
翌日。
プノンペン滞在最終日に訪れたのはトゥール・スレン虐殺博物館です。
この場所は残虐な歴史が建物の中にそのまま残っており、カンボジアで起きていた現実をよりリアルに受け止めなくてはならない辛さがありました。
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ご覧の通り、入園するとヤシの木や果物が実った植物が生い茂る美しい庭園が広がっています。
その美しい自然とのギャップが妙に不気味に存在する建物の中には、その当時のまま残された牢屋や拷問器具、目を背けたくなるような写真がたくさん展示されていました。
異様な空気が漂うその建物の中を周りながら、ただただ頭に浮かんでくる「何で罪のない人達が意味の分からない理由の元に殺されなければいけなかったのか」という疑問に、納得することのできない無慈悲な理由。この空間で写真を撮る気にはとてもじゃないですがなれませんでした。
 
その使い古された器具や古びた写真が醸し出す雰囲気は、まるで遥か昔の出来事のように感じましたが、実際にポルポトが政権を握り、恐怖と殺戮がこの国を支配していたのは1975年から1979年。歳がバレますが私が生まれた頃のまだ最近の歴史なのです。
ポルポトは原始共産主義社会、つまりすべての人々が畑を耕して農業をするという社会を理想国家として建設しようと暦までもゼロイヤーに戻しました。私有財産をもつことを禁止し、書物を焼き、学校を禁止し、仏教も禁止。。。
自由だけでなく、罪なく次々と命が無残な虐殺という方法で奪われるという現実の片鱗を目の当たりにし、言葉で表現するのもためらうくらい重い衝撃を受けました。
 
生まれてこの方、オバケというものは見たことありませんし、霊感の欠片もない澤田ですが、この地を後にしてから徐々に体調に異変が。。。
夕方には「あれ…?そんなに顔、白かったっけ??」と言われるくらい血の気が引いてしまい、フライトまで横になることに。(*_*;
この場所に漂う空気にやられたのか、犠牲者の気持ちに想いを馳せ過ぎたのか。。。
きっと澤田の心のキャパシティでは受け止めきれなかったのでしょうね。。(;´Д`)
 
けれど、この辛い過去の現実を、現地で知ることができて良かったと思います。
学生時代に教室で教科書を使って聞いていた授業は、どんな歴史であってもさほど興味を持てなかった当時のわたしにとっては、ほんとに申し訳ないけれど子守歌にしか聞こえませんでしたから。(;’∀’)
 
この最近とも言えるカンボジアで起きた残酷な歴史はまだ終わってはいません。
今では多くの団体の支援でその数は激減していますが、内戦時にカンボジア全土に埋められた地雷は、国境付近など一部の地域で大量に残っており、その地域に住む人にとっては未だに現在進行形の大きな問題なのです。
 
何かに怯えることなく眠ることができ、日の光を浴びることができ、おなかが空けば美味しい食べ物が食べられる。
この当たり前にある日常がいかに幸せなことか。
カンボジアで起きた悲しいこの歴史のような人災(と呼ぶには軽すぎる表現ですが…)だけでなく、弊社の企業のきっかけでもある3.11東日本大震災のような天災がもたらす悲しい過去も、まずは目を背けず知ること、そして忘れないということが大事だと思います。
そして、今ある恵まれた環境に感謝ですね。
 
では、また次回に☆ごきげんよう(*^^*)

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